JCとは何をやっている団体なのか?
今までどんな事をやってきたのか?
JC運動から始まり今では湖北にあたりまえの様に根付いている物事について、もっとJCを身近に感じていただきたいという趣旨の下、月一回のペースでご紹介していく【長浜JCの足跡探訪!!】
7回目は【長浜黒壁のまちづくり】についてです。
【長浜JCの足跡探訪!!】⑦
~長浜黒壁のまちづくり(前編)~
長浜といえば黒壁を連想する方も多いと思います。
今日の長浜が日本でも有数の観光地として脚光を浴びるようになった背景には黒壁の存在なしには語れないと言っても過言ではありません。
実はこの黒壁を中心にしたまちづくりにもながはま21市民会議や長浜青年会議所が大きくかかわっているのです。
今回の【長浜JCの足跡探訪】では2回に分けて黒壁のまちづくりと長浜青年会議所の歴史や歩みについてご紹介したいと思います。
【黒壁とは】
株式会社黒壁とは市民の有志数名と行政からの出資で昭和63年に設立された第3セクター株式会社です。
黒壁1号館の建物はもともと明治に建設された「黒壁銀行」の愛称でしられた黒漆喰の建物で、老朽化により取り壊しになる危機に市民の有志が立ち上がり出資を募り立ち上げたものです。
設立以来十数年観光客の人数は上昇を続け今日の観光都市長浜の礎を築いた一番の要因であると言われています。
【黒壁と長浜市青年会議所との関係】
設立時に融資した市民の有志の中には長浜青年会議所OBの方も多く、青年会議所で培ったノウハウや人脈が如何なく発揮されたと言われています。
この黒壁の設立について特筆すべきは、この時の有志の方々は地元の商店街の商業者ではなく、郊外にある工業界の方々が中心になって立ち上げられたこと、そして行政と共同出資とはいえ出資額の7割以上を民間の有志から集めていたため役員の大半が民間の方々であった事です。
黒壁中心のまちづくりは行政が主になって始まったのではなく、まちの未来に危機を感じ、行動に移した長浜青年会議所OBの方々が中心となって組織された民間が主となって行政や一般市民、地元の商業界を巻き込んでいった日本でもあまり例を見ない第三セクターのまちづくりだったのです。
次回の【JCの足跡探訪⑧~長浜黒壁中心のまちづくり(後編)~】では実際に黒壁の創業から有志として出資された長浜青年会議所OBの方にインタビューさせていただき当時、黒壁を中心にどのように長浜が発展して行ったのかについてお聞きする予定です。
(記事)
総務広報委員会
委員長 眞杉国史