二回目は前回ご紹介した曳山博物館構想の後編です。
今回は当時運動に関わられておられた先輩へのインタビューの様子をご紹介したいと思います。
【長浜JCの足跡探訪】②
~曳山博物館構想(後編)~
二回目は前回ご紹介した曳山博物館構想の後編です。
今回は当時運動に関わられておられた先輩へのインタビューの様子をご紹介したいと思います。
【長浜JCの足跡探訪】②
~曳山博物館構想(後編)~
漣 泰寿 歴代理事長インタビュー
Q:本日はお忙しい中インタビューに応じて下さり、ありがとうございます。
今回は曳山博物館構想の事を中心に当時のメンバーの方がどのような想いで活動されていたかについてなどお聞きしたいと思います。
早速ですが曳山博物館構想はどのような背景があり提唱されることとなったのでしょうか?
A:長浜JCは発足して最初の20年間は人間と同じで大人になるまでの準備期間のようなものであったのかなと考えています。
最初の20年で先輩方がしっかりとした基盤を作って下さり、これから町の方も巻き込んで色々やって行こうという時に「朝の市民広場」という物が出来ました。
この朝の市民広場が長浜JCがまちづくりをやって行く最初の分岐点だったように感じます。
この頃から都会のJCを中心に「まちづくり運動」という物が盛んに行われるようになってきました。
そんな中長浜も今後の湖北を考えた時にどのようにして町の活性化をして行かなければならないかといった議論を何度も重ねた結果、曳山祭りを単なる「フェス ティバル」にして人を呼び込むのではなく、湖北全体の「文化の象徴」として文化を継承し町の賑わいを創出して行こうという提案をしたのがきっかけです。
Q:具体的にどういった事をされたのでしょうか?
A:当時祭りの山組関係者もJCメンバーの中にも多くいましたが、中心市街地以外に住んでいるメンバーの中には曳山について全く知らない人もおりました。
そんな中、まずは自分たちが祭りを体験しなければ何もわからないという事で、当時人手不足で今では考えられない事ですがお神輿の担ぎ手がいなくトラックで神輿を運んでいたという問題や祭関係者の人材不足等数々の問題があり、それを解決すべく「曳山祭り参加協力事業」と銘打って、お神輿担ぎをしたり、各山の 裸参りを体験させていただき祭りの一端を体感したり、八幡宮の中に観光ブースを設け観光客に曳山のPRをしていきました。
これを継続してやって行くことでやはりこの町には曳山祭りが欠かせない「文化の象徴である」という事を実感する事が出来、曳山を展示・紹介するだけではな く、保存や修復、そして湖北全体の文化を発信し、次の世代に繋げて行く機能を備えた曳山博物館がこの町には必要だと考える「曳山博物館構想」の提唱へとつ ながって行ったのです。
Q:そのような想いを持ってまちづくりをされてこられた先輩から今のJCメンバーに対して一言お願いいたします。
A:私の考えではJCは主役にならなくても良いと思っています。
JCは常に先を見据え問題提起し、まずは自分から率先して行動する組織でなければいけない。
その結果、町の人が共鳴し、どんどん輪が広がり町の賑わいが創出されていって今の湖北の姿があると思います。
今の現役メンバーは大変な時代の中、非常に頑張っておられるなと思って見てますが、もっと大胆に「あいつら何やってるんや!けったいな事やっとるな!!」と我々に言わせるくらいの突拍子もないスケールの大きな事業をやって頂きたいと思います。
我々の現役の頃もそんな大きな夢を描いて行動し実現してきましたし、それこそが青年の持つ最大の魅力だと思います。
これからも皆さんの活躍を期待し、楽しみに見ておりますので頑張ってください。今日はお招きいただきありがとうございました。
大変貴重なお話をお聞かせいただき誠にありがとうございました。今後ともご指導ご鞭撻の程、宜しくお願いいたします。
※取材協力:長浜青年会議所 第37代理事長 漣 泰寿氏
インタビュアー:長浜青年会議所 総務広報委員会 眞杉国史