お知らせ 2016年5月30日

第4回 長浜JCの足跡探訪!!

JCとは何をやっている団体なのか?

今までどんな事をやってきたのか?

JC運動から始まり今では湖北にあたりまえの様に根付いている物事について、もっとJCを身近に感じていただきたいという趣旨の下、月一回のペースでご紹介していく【長浜JCの足跡探訪!!】
4回目は【長浜ドーム】についてです。

当時、活動の中心となって全天候型競技場の実現に向けて提唱された【ながはま21市民会議推進委員会】で委員長をされておられた土田幸一先輩に当時の時代背景やJCメンバーの熱い思いについてインタビューさせていただきました。

1988年事業【ながはまドリームエクスプレス】を実施 された「ながはま21市民会議推進委員会」委員長 土田 幸一先輩

【長浜JCの足跡探訪!!】④
~長浜ドーム(全天候型運動競技場)~
事業「ながはまドリーム エクスプレス」
ながはま21市民会議推進委員会 委員長 土田幸一先輩 インタビュー

Q:本日はお忙しい中インタビューに快く応じて下さりありがとうございます。
 先日塚田先輩より21市民会議についてお聞かせいただきこの会議から「JR直流化」「長浜ドーム」「バイオ大学」の実現に向けての提言をされて、すべて現実のものとなったという事を教えていただきました。
 本日はその中から「長浜ドーム」について当時「全天候型競技場」実現に向けた事業を開催された委員会の委員長をされておられた土田先輩に当時についてお聞かせいただきたいと思います。
 まず「ながはまドリームエクスプレス」とはどのような事業だったのでしょうか?

 

 

A:まず何故、この長浜に全天候型運動施設が必要であるという話になったかというと、当時湖北から伊香高校が甲子園に出場されました。これからどんどんス ポーツで活躍する若者が出て行ってほしいのに、湖北の冬は雪深い。これでは冬季十分な練習が出来ない。それならば湖北に全天候型競技場が必要である。とい う意見がながはま21市民会議で出てきて、当時の滋賀県知事の武村知事との会談で、今ほど話に出てきた3つの提言がなされたのがきっかけだったのです。

 

 当時県庁からは10億円程の建設費に関する予算が出ていたのですが、我々はそれでは納得しない。体育館ではダメ。ドームの様な施設が必要であると主張し、 行動とPRは長浜JCが担当し、予算面などではながはま21市民会議で一緒に活動させていただいていた当時の有識者の方々が県の様々な所に働きかけて下 さったおかげで最終的には50億程の壮大な予算が動く結果となりました。

 

 それで、その実現にむけたPRの為に何をするかと考えた時に、ながはま21市民会議にて考えた事業が長浜から電車を貸し切って東京ドームまで野球の試合を観に行くという「ながはまドリームエクスプレス」だったのです。

 

 

 今の長浜には無くてはならない長浜ドーム。この名前も市民からの応募で決まりました。年間通して様々なスポーツの大会やイベントが開催されています。

Q:ドーム建設に向けた予算の規模も凄いですが、長浜から東京まで電車を貸し切って野球を観に行くという事業も何ともスケールが大きいですね。実行するにあたって大変だったことも多いかと思いますが「ながはまドリームエクスプレス」についてお聞かせください。

 

A:委員長になり「さてどんな事をやろうか」と考えていた時に、ながはま21市民会議のメンバーとの飲み会で、「昨年は電車で琵琶湖一周した。今年は東京ドームが出来る年やし、貸切電車で東京ドームまで行ったら、JR直流化と全天候型競技場の両方への提言が出来るじゃないか。」とアイデアが出たのがきっかけで、400人 を巻き込む壮大な事業が動き出しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Q:スケールが大きいと思っていたら飲みの席がきっかけだったのですね?

A:机の上での会議ももちろん大切だが当時は本当によくメンバーで飲みに行っていました。その席で湖北の未来について真剣に語っていました。仲間と酒を酌 み交わしスケールの大きな事を若者が語らないといけない。そしてJCの凄い所はやると言ったら必ず実行する組織であるという事。これが素晴らしい所だと思 います。

そしてこの事業が結果的に抜群のPRとなり長浜ドームとJR直流化実現に向け県が本格的に動き出したきっかけになりました。

 

Q:苦労された点は何かありますか?

A:当時、東京までの電車を貸し切るとなると400人を集めないといけない事がわかりました。しかも交通費に加え、食事や試合観戦なども勘定して行くと登録費も相当かかってくる。JCのみならず21市民会議のメンバー総動員で400名の参加者を集める事に成功しました。
それらの問題をクリアしても、400名をドームまで電車で連れていくには品川~秋葉原~水道橋までを乗継しなければならなかった。
バスを使ってはこの事業は意味がない。
その為に車両ごとに旗を作って分団に分け東京に着くまでの間にチームの結束力を築き、JCメンバー一人ひとりが責任をもって誘導したことで結果的には誰一人迷子になる者や具合を悪くする人は出ませんでした。
当時、400人を電車でドームへ連れて行くなんて事をやる団体はまずJCを置いて他にありませんでしたし、苦労したことは確かに多く、話し出したらきりがありませんがJCが結束したらなんでも出来てしまう。その事を改めて実感した事業でもありました。

 

Q:それだけ大きな事業をするにあたり委員長としても大変だったのではないでしょうか?

A:私はほとんど何もしていません。メンバーがやる気になってくれて動き出すと委員長はやることがなくなる。メンバーに委員会へ楽しく来てもらう設えを考えたり、メンバーに働いてもらう時には必ずそばにいて決断や責任は取っていただけです。

実際、事業が始まったら電車の中で私がやることがなくJCのOBの方々と盛り上がっていただけです。

 

Q:そうは仰ってもそれだけの事業をされたらその後は相当お疲れだったのではないでしょうか?

A:余談ですが事業翌日ゴルフに行ってましたよ(笑)
前日東京から参加者全員を無事連れて帰ってきて、そのままメンバーで朝方まで打ち上げし、ヘロヘロの状態でゴルフ。これが一番しんどかったかもしれません(笑)

 

Q:聞けば聞くほど豪快で面白いエピソードが飛び出してきて驚きます。
最後に現役のJCメンバーに向けて一言お願いいたします。

A:沢山失敗をして下さい。大胆な事を考え必死にそれをやってどんどん失敗したらいいんです。会社では失敗できませんがJCでは失敗してもそこから何か学んで行けばそれで意味がある。JCはそのための修行の場です。

あと、現在でも100名近いメンバーを維持し本当によくやってくれていると思いますがもっと時間をうまく使っていくべきです。会議所であるからには会議を真剣にやらないといけないが、会議を充実させながらも早く終わる工夫をすべきです。

その為にはみんなで飲みに行って、面白く大胆な事を考える若者であってほしい!

OBとして皆さんの益々のご活躍を楽しみにしています。そしてたまにはOBともこうして一緒に飲みの席を設えて下さい(笑)

 

本日はありがとうございました。今後ともご指導ご鞭撻の程よろしくお願い致します。

 

 

※取材協力:土田幸一氏
 オブザーバー:例会委員会 委員長 中川茂樹
        会員交流委員会 委員長 清水孝弘
 インタビュアー:総務広報委員会 委員長 眞杉国史

 

 

理事長 写真 第60代理事長 今村 潤 理事長所信

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