JCとは何をやっている団体なのか?
今までどんな事をやってきたのか?
JC運動から始まり今では湖北にあたりまえの様に根付いている物事について、もっとJCを身近に感じていただきたいという趣旨の下、月一回のペースでご紹介していく【長浜JCの足跡探訪!!】
3回目は【ながはま21市民会議】という会議体についてです。
【ながはま21市民会議】とは
1987年(昭和57年)に21世紀を担う子供たちに私たちのまち「ながはま」を誇りに持って引き継ぐために、今こそ我々は自らのまちづくりに参加し、英知を結集して具体的な行動を起こさなければならないという考えのもと「ながはま21市民会議」が設立されました。
・・・といってもピンとくる方は中々いらっしゃらないかと思います。ただJCが発案したこの会議から生み出されたものは【JR直流化】【長浜ドーム】【長 浜バイオ大学】の3つ。どれも今日の湖北の発展を語る上で欠かせない物ばかりです。どのような時代背景の中、どのような想いを持って当時のJCメンバーが 活動されていたのか、当時中心となって活動されておられた長浜青年会議所 第35代理事長 塚田益司先輩にインタビューさせていただきました。
Q:当時全国各地でされていた「市民会議」と、この「ながはま21市民会議」の違いは何かあるのでしょうか?
A:当時全国各地で行われていた市民会議について全て知っているわけではありませんが、その多くは「まちづくりについて語る会議」がほとんどであったよう に思います。我々は会議するだけではいけない、そこから一歩踏み込んで「まちづくりについて語った上で実行する会議」を目指しました。
「ながはま21市民会議」とは長浜青年会議所が打ち出した「まちづくりの手法」なのです。
Q:設立当時、どのような事をされておられたのでしょうか?
A:当時、我々は長浜を若い力で何とかしなければならないという強い使命感を持っていました。そして地域を動かす為にはOBの方や地域の方々との連携、 ネットワークづくりが必要不可欠だと考えていたため、「ながはま21市民会議」設立当初の課題はより多くの方々をどうやって巻き込んで行くかでした。会議 に多くの方々に出席していただく為、当時のJCメンバーは会議参加者の住所を完全に覚え、会議の日には家までお迎えに行き、足しげく通う事で沢山の方々を 巻き込んで行く事に成功しました。
Q:その後の展開はどういったものだったのでしょうか?
A:会議体が形になってきて、「さぁ何をしようか?」となった時に市民憲章を作ろうという話になったのですが、これはあっという間に出来てしまった。
それで会議を重ね様々な意見を抽出し出てきたのが
「JRの直流化」
「全天候型競技場の建設」
「大学誘致」
の三本柱です。
この三本柱の提唱から完遂こそが「ながはま21市民会議」の成果であり、このような事が成し遂げられたのは21市民会議によって出来た「上下や行政との関係の強化」や「人脈づくりの基盤」があったからこそだと考えます。
Q:最後に現役の青年会議所メンバーに何か一言お願い致します。
A:もっと縦と横のつながりを強化してほしいと思います。現役が頼ってくれば我々OB
も喜んで力を貸しますし、我々が当時してきたようにOBの力をどんどん使ってほしいと思います。
またJCに入ったからには卒業するだけではなく、ネットワークを築いたり、感覚を磨くといった財産を作ってほしいと思います。
あと、JCの先輩として言わせていただくと、まだまだ長浜の力はこんなものではない。ハングリーさを持ってもっと上を目指してほしい。黒壁のまちづくりの 成功からずいぶん経ち、今は今後のまちづくりの第二のエンジンを作る大事な時期です。もっともっと高い意識を持って地域の為に活動していただきたいと思い ます。
私もこれからも地域貢献していこうと思いますし、長浜青年会議所OBとして皆さんの活躍を応援しています。
Q:本日はお忙しい中、インタビューに応じて下さり、ありがとうございました。当時の先輩方の想いに触れる事が出来、私としても大変勉強になり感じるもの がありました。今の湖北の発展の源に長浜JCの足跡を見つける事が出来、メンバーとして誇りに思います。我々も先輩方に負けぬ様、一層精進して参りますの で今後とも変わらぬご指導ご鞭撻の程、よろしくお願いいたします。
※取材協力:長浜青年会議所 第35代理事長 塚田益司氏
インタビュアー長浜青年会議所総務広報員会 委員長 眞杉国史
※今後の「長浜JCの足跡探訪!!」では【JR直流化】【長浜ドーム】【長浜バイオ大学】についてひとつずつさらに掘り下げて取材して行きたいと考えております。